昭和35年
コロムビア全国歌謡コンクールで2位に入賞するも、この大会は優勝者以外はなかなかデビューする機会は与えられず、それまで11曲録音するも、すべてお蔵入りとなる。昭和39年
11月、日本クラウンから『涙を抱いた渡り鳥』で念願のデビュー。
この『涙を抱いた渡り鳥』は、クラウン設立時に、コロムビアからクラウンに移籍する予定だった畠山みどりのための曲だったが、畠山がコロムビアに残留することになり、もともと『袴をはいた渡り鳥』だった曲を、袴は畠山のトレードマークであるため、作詞家の星野哲郎氏が書き直し、晴れて水前寺の曲となった。 しかし、水前寺にはキーが高すぎて、無理矢理に声を出し絞ることになったが、これがかえって渡り鳥の哀愁を醸し出す結果となり、功を奏して大ヒットとなった。
昭和40年
早くもNHK『紅白歌合戦』に初出場を果たし、以降昭和61年まで連続22回出場。その間紅組司会を4回務める。
昭和44年
『三百六十五歩のマーチ』が春の甲子園の入場行進曲に選ばれる。
昭和45年
TBSドラマ『ありがとう』に出演。最高視聴率は50%を超え、一躍トップスターの座に上り詰める。
昭和56年
『有明けの海』で、古賀政男記念音楽大賞、日本作詞大賞に入賞する。
昭和57年
東京郵便貯金ホールにて初のリサイタルを行う。
昭和58年
念願のNHK『紅白歌合戦』のトリを、出場19回目にして初めて務める。約1ヶ月前に亡くなったお父さんに届けと、涙で『あさくさ物語』の熱唱。この年から始まった最優秀銀杯を受賞する。
平成元年
小松明氏と結婚。故郷熊本の水前寺公園で挙式。
平成3年
『三百六十五歩のマーチ』が、アニメ『丸出ダメ夫』の主題歌となり新録音で発売。子供たちにも水前寺清子の名を知らしめる。
平成12年
故郷熊本に20年来の夢であった、老人ケアハウス「水清庵」をオープンさせる。
これからもチャレンジ精神旺盛なチータから、ますます目が離せませんよ・・・。
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